松尾山城本丸
松尾山城本丸

関ケ原の城・松尾山城

小早川秀秋が布陣した松尾山は城だった

「関ケ原には城がない」。

戦国の聖地といわれ、全国的な知名度を誇る関ケ原にとって、関ケ原古戦場の中に城がないことが、観光面での弱点とされてきた。果たしてそうだろうか。

 

実は、関ケ原にも城はある。関ケ原合戦で西軍の小早川秀秋が布陣し、決戦の最中に東軍に味方して大勝利に導いたことで有名な松尾山だ。

 

松尾山は、関ケ原の西南に位置する標高293mの山である。麓の登山口から40分ほど、急な坂道や階段を、息も絶え絶えに歩いて、ようやく頂上にたどり着く。頂上から関ケ原方面の眺望はすばらしく、西軍と東軍の布陣が中央から左右に分かれるようにみえる。関ケ原合戦当日は、さぞかし戦況がよくわかったことだろう。秀秋が、西軍と東軍の激闘を見てどちらに味方するかを躊躇したのか、それとも、初めから東軍に味方するつもりで虎視眈々と参戦のタイミングを計っていたのか、その心境を想像しながら景色を眺めるだけでもわくわくする。松尾山に登る戦国ファンの大半は、こうやって松尾山を堪能していることだろう。

 

ところが、松尾山にはもうひとつの魅力があった。山城としての松尾山である。

松尾山のあたりには、かつて長亭軒城(ちょうていけんじょう)という城があり、美濃と近江の境目の城として機能していた。その城が天下一統の過程で忘れ去られていたのだが、関ケ原合戦の際に、石田三成によって再び生かされることになる。大垣城に進軍して西軍本営とした三成は、大垣城主の伊藤盛宗(盛正)に命じて松尾山城を修築させ、西軍総帥の毛利輝元を入城させようとした。戦国後期の築城技術を存分に生かした城には、多くの郭や土塁、堀切、虎口などが設けられた。その城の痕跡が、松尾山の頂上とその周囲の林の中に眠っているのである。

頂上一帯は城の本丸であり、周囲には土塁がめぐっている。平井口(大手)の頂上入口には食い違い虎口が設けられ、そこに至る二の丸は急峻な細道で、大軍が一度に進むことができない。本丸の周囲には、自然地形を生かしつつ、土塁に囲まれた郭がいくつもあり、高い切岸とともに本丸を防御している。面白いのは本丸からいったん下って再び上った西の高台にある郭の一角で、ここにだけは土塁がない。山城の構造が古いので、ここが元の長亭軒城なのではないかとも言われている。

 

昨今のお城人気、とりわけ土の城や山城が注目されていることもあり、松尾山城は関ケ原の新たな観光の目玉となりうる。ただし、頂上周囲の林の中は下草も多く、ヤマビルもいることから、通年の観光には適さない。そこで、ヤマビルなどの心配がなく、雪もない11月と3月の2か月間に限り、史跡ガイドによるプレミアムツアー「松尾山城縄張りめぐり」を行ってはどうかと、内々に計画?をすすめている。

たぶん(期待を込めて)近いうちに実現できると思うので、お楽しみに。

松尾山城のほか、関ケ原の西北には玉城もあり、一部の戦国ファンに注目されていることを付け加えたい。(Y.I)

松尾山城眺望
松尾山城眺望
松尾山城本丸虎口
松尾山城本丸虎口
松尾山城本丸直下
松尾山城本丸直下
松尾山城二の丸
松尾山城二の丸
松尾山城の郭を探訪中
松尾山城の郭を探訪中