金蝶饅頭

大垣の水に合う茶の味はこの菓子

安政二年(1855年) 二月、城代を務める鉄心は、気を揉んでいた。

 

昨年、浦賀にペルリが再来し、結局、幕府は開国を押しきられてしまった。

嘉永六年(1853年)六月、ペルリが浦賀に来航した折、浦賀奉行 戸田氏栄に請われ、本家である美濃大垣藩戸田家は支援に向かった。鉄心は浦賀警備のために藩兵を率い、氏栄を大いに助けた。

その勲功もあって、今回の幕府の対応には、忸怩たる思いを持つものが藩内には多い。

しかし、あの黒鉄の城、威風堂々とした黒船の姿を、実際に目にした者としては、あの結果は首肯せざるを得ない。山鹿素水より山鹿流兵学の奥秘皆伝を与えられている鉄心には、ことさらにそれが分かる。

 

以来、何かが動きだした。

何、とは言えぬが、それは「ぬん」と前に動いた。あたかも、途方もなく大きな山椒魚の歩みの様に。

それは確実に踏みだしたのだ。

こんな時に、主君 氏正様は隠居し、家督を氏彬様に継がせるという・・・。

 

鉄心を慮ってか、藩医の井倉が饅頭を届けてくれた。菓子何処「舛屋」の喜多野弥三郎が作り出したもので、近ごろ市井でもちょっとした評判になっている品とのことだ。

手に取ると、まだ温もりの残る饅頭は、舌にのせると、酒のかおりがほんのりと口中に広がる。

 

鉄心は、半紙を引き寄せると、おもむろに一筆書き置いた。

 

  「 大垣の水に合う茶の味はこの菓子。

     菜種咲く 花は黄金の 饅頭に 慕うや蝶の 賑わいの園 」

 

賑わいの園をこの先も願うのは、春夜の儚い夢であることに、鉄心は気が付いてしまっている。

 

(Y.K)