春

淡墨桜

孤高の美

根尾の清冽な谷筋を上った山懐、深い緑を借景にただ1本、淡墨の花を湛えた柔らかい羽衣の様な枝を広げる孤高の桜。

 

樹齢1500余年、樹高17m、幹囲10mの堂々たる姿を誇る「淡墨桜」は、山梨県の「山高神代桜」、福島県の「三春滝桜」と並び、日本三大桜のひとつに数えられ、国指定の天然記念物にも指定されている。

淡墨桜は、その長い歴史の中で、天災地変、病虫害などで幾度も危機的状況に陥っている。しかし、いつの時代にも、人々の愛情と情熱によって見事に蘇り、春(見頃は4月上旬から中旬)には満開の花を咲かせている。

特に、昭和23年、国の調査で3年以内に枯死と判断される中、山桜の根を接木して見事に再生・開花させた歯科医師、前田利行氏や、昭和42年に伊勢湾台風による惨状を憂い、その保護を訴えた作家、宇野千代氏(後に小説「薄墨の桜」を上梓)などの活動を通して、淡墨桜の名は全国に知られることとなった。

毎年、開花の時期に訪れる多くの人々は、淡墨桜の不屈の生命力と物語性にあふれた歴史とともに、日本人である私たちの美意識に深く訴えかけてくる、圧倒的な美しさに魅了される。

 

その美しさとは何か―。

淡墨桜とその桜守も登場する水上勉氏の小説「櫻守」には、日本の桜の品種と美しさについて、「本当の日本の桜は、ソメイヨシノのような(交雑種で)花だけのものではなく、朱のさした淡みどりの葉とともに咲く(日本の古来種である)山桜、里桜である。」といった一節がある。淡墨桜のエドヒガンもしかりである。

我々が最も目にするソメイヨシノは、60年そこそこの短い樹齢で、毎年一斉にぱっと咲いてぱっと散る、観賞用として開発され、江戸時代の享楽の趣とケレンを持ち合わせる。一方、その母親(母種)でもあるエドヒガンは、万葉の昔から歌に詠まれ、絵に描かれ、日本人の琴線に触れる、美しい抒情を奏でる高潔さと品位に満ちている。

淡墨桜は、まさに万葉の昔からこの地に根を張り、花を咲かせて来た桜。エドヒガンの中でもその美しさは唯一無二である。

春先の薄桃色のつぼみが、満開になれば白になる。その佇まいは枯淡の趣を湛えながらも、楚々として美しい。しかし、最も心奪われるのは散り際。その名の由来ともなっている淡い墨色に変化した花弁が、淡みどりの葉先をすり抜けて、散り惜しむように風に舞う姿は、儚げで胸に沁みる・・・。

 

ここ15年、インバウンド観光によって、世界の人々が淡墨桜を世界へと発信するようになった。もはやその美しさは世界基準である。

さらには、平成20年、淡墨桜の種は成層圏を抜けて、国際宇宙ステーションでの実験に使われた。幾光年先か、淡墨桜の下で酒を酌み交わし、花見に興じるのは人類だけではないかもしれない。その時、その美しさは、宇宙基準となる・・・。

(N.S)

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