水門川四季の広場
水門川四季の広場

水の都 大垣

おいしい水が当たり前に飲めるという贅沢

岐阜県大垣市は、「水の都、水都(すいと)」と呼ばれている。いくつかの企業やタクシーの名前にもなっているし、大垣三大まつりのひとつはその名もずばり「水都まつり」である。「水都」が大垣市民の間でいかに定着した呼称であるか伺える。

 

ところで、「水の都」といえば国内では大阪や柳川、世界的にはヴェネツィアなどが思い浮かぶと思うが、それらの都市と大垣とでは、「水の都」の意味するところが少し違う。では、どう違うのか。

 

確かに、大垣は内陸にありながらもかつては船町に川湊があり、舟運が盛んだった。戦前までは街中を網の目のように河川が流れ、現在のJR大垣駅も運河でつながっていた。街中を縦横に走る水路とそこを行き来する舟は、各地の「水の都」と共通する風景であったことだろう。

 

だが、それだけではない。

 

大垣は地下水が豊富で、かつては多くの家庭に自噴井戸(ポンプで汲み上げなくても自然に水が噴き出す井戸)があるほどだった。各家庭では自噴井戸から24時間、清冽な水が水舟に流れ、夏には西瓜などを冷やしていた。その名残は、大垣の夏の風物詩「水まんじゅう」にみられる。店頭で水にさらして売られる「水まんじゅう」は、地元では特別な景色ではなく、ごくありふれた風景であった。「水まんじゅう」もかつては各家庭でつくられていて、味や食感も家庭ごとに微妙に違っていたという。

この豊富な地下水の秘密は、大垣の地理的特性にある。大垣は濃尾平野の西北端にあり、西と北は伊吹や揖斐の山塊で遮られている。そのため、北からは揖斐川、東からは木曽川・長良川の伏流水が流れてきて大垣の地下に溜まるのだ。ちなみに大垣の地下水の90%は木曽川の伏流水だそうである。

 

各家庭の自噴井戸は、近代以後に進出した繊維工場などが大量に水を使うことで水位が下がり、ポンプ井戸に変わった後、姿を消していった。だが、今でも大垣市街の公共水道は100%地下水を汲み上げて使っており、夏でも冷たくておいしい水道水を飲むことができる。大垣生まれの私にとっては当たり前で使い放題のこの水が、実はたいへんな贅沢であることを、東京から招いた講師に指摘されたことがある。そういえば、東京や大阪に出張する度に、水のあまりの不味さに、歯を磨くにも難儀したことを思い出した。

 

家庭ではみなくなった自噴井戸であるが、「加賀野八幡神社井戸」は平成の名水百選にも選ばれ、終日水汲みの人で賑わっており、市内には他にも何カ所かの自噴井戸が現存している。郭町にある「名水大手いこ井の泉」や、奥の細道むすびの地記念館にある「むすびの泉」は、比較的最近になって掘られた自噴井戸だが、場所もわかりやすく行きやすいので、大垣を訪れた際にはぜひお立ち寄りいただきたい。

「おいしい水が豊富な大垣こそ、真の水の都である」と私は(勝手に)確信しているので。 (Y.I)

 

加賀野八幡神社
加賀野八幡神社
加賀野八幡神社自噴井戸
加賀野八幡神社自噴井戸
名水大手いこ井の泉
名水大手いこ井の泉

奥の細道むすびの地記念館「むすびの泉」
奥の細道むすびの地記念館「むすびの泉」
大垣八幡神社「大垣の湧水」
大垣八幡神社「大垣の湧水」