岐阜城

織田信長天下布武の城・岐阜城の楽しみ方

岐阜城には少なくとも三段階の楽しみ方がある。

まずは初級編。金華山ロープウェーに乗って山上の天守をめざす。急峻な山上には本丸・二の丸・馬場跡などがあり、天守からは岐阜市街や長良川、遠くは名古屋駅前の超高層ビル群から関ケ原までが一望できる。岐阜城を訪れる多くの方は、その絶景を楽しみ、織田信長や斎藤道三の気分に浸ることだろう。

展望台とレストランが建つ高台も、岐阜城の防御の要だった七間櫓の跡地。天守一帯をつぶさにみてまわるだけでも、それまで気がつかなかった多くの発見がある。

次に中級編。岐阜城といえば多くの方は山上の城砦をイメージするが、そこだけが岐阜城ではない。織田信長は平時、山上の天守ではなく山麓の居館で過ごしていた。1990年代に信長居館跡として公開されたが、それはごく一部に過ぎず、今もロープウェー山麓駅の周辺で発掘作業が進んでいる。かつてはルイス・フロイスの記述などから想像するしかなかったその全貌が、少しずつ明らかになりつつある。岐阜公園一帯もかつては岐阜城の一部だった。岐阜城の城下町だった金華校下とあわせてそぞろ歩きすれば、そこでもまた、新しい発見があるだろう。

そして上級編。山上の城砦と山麓の居館一帯が岐阜城の全てか。いやいやそれだけではない。山麓から山上に向けて、七曲口、百曲口、水の手口などの登山道がある。今では健康ウォークや野鳥の観察で語られることの多いこれらの登山道も、多少の違いはあれ岐阜城の頃から使われていた登城路だ。関ケ原の前哨戦である岐阜城攻防戦では、東軍の福島正則が大手の七曲口から、池田輝政が搦手の水の手口から攻め上っている。説明板もろくにないが、途中には大堀切などの見どころもある。さらに、金華山周辺の高台には、本丸を守るようにいくつもの砦が築かれていた。かつて観光リフトが通っていた瑞龍寺山にも、ユースホステル廃止後も夜景の名所として有名な権現山にも、岐阜城を守る砦があった。金華山トンネルの上にも丸山砦があり、ここに砦が築かれる前には伊奈波神社があったというから驚きだ。

 

岐阜城とは、山上の城砦だけでなく、山麓の居館だけでもなく、山上と山麓を結ぶ道、金華山一帯にあったいくつもの砦を含む、金華山全体が岐阜城なのです。歴史的側面だけをとりあげても、岐阜城の可能性はまだまだ無限大。その可能性を追求する旅、体感する旅に、ぜひお出かけください。(Y.I)