奥の細道むすびの地

町人文化が花開いた元禄時代、俳人松尾芭蕉は弟子の曽良とともに江戸の深川を発ち、東北から北陸地方を巡り、大垣で紀行文『奥の細道』の旅を終えました。

芭蕉は、俳友谷木因らとの交遊ののち、むすびの句『蛤のふたみに別れ行く秋そ』を詠み、水門川の船町港から伊勢へと旅立っていきました。

俳人が旅立ち、かつて水運で栄えたこの地も、今や住吉燈台と荷船が一艘残っているばかりで、往時の賑わいを伝えるものはありません。

ですが、大垣を代表するこの地を、市民は季節の折々に訪れます。

両岸から枝をのばした桜が川面までも春色に彩り、花の隧道が楽しめる、行く春に。

夕日に染まった燈台と朱色の欄干が、照柿色の木々と日本のふるさとの景色を織りなす、行く秋に。

月日とともに過ぎ人の営みは変われども、今もこの地は詩情豊かな表情を見せ続け、行きかう人を惹きつけています。(Y.K)