美濃路墨俣宿脇本陣跡
美濃路墨俣宿脇本陣跡

美濃路

「左 江戸道」・「右 京みち」

大垣を通る美濃路は、中山道の垂井宿と東海道の宮(熱田)宿とを結ぶ全長約58kmの脇往還でした。美濃路を使えば中山道の木曽谷、東海道の鈴鹿峠や七里の渡しといった難所を避けることができるため、多くの旅人が好んで通行したと記録されています。

関ケ原合戦の後、徳川家康が凱旋しためでたい道であることから「御吉例街道」と呼ばれ、参勤交代の大名行列をはじめ、朝鮮通信使や琉球使節、将軍御用の宇治茶を江戸まで運ぶお茶壺道中もこの道を利用するなど交通の要所であったことが伺われます。

船町の道標
船町の道標

変わった通行者としては、1729年(享保14年)に象が通った記録があります。この象は中国船で長崎に着いたもので、各地で注目を浴びながら、美濃路経由で江戸に向かい、江戸城で将軍・徳川吉宗の見物に供されたということです。こうした珍しい通行人たちの記憶が今も沿道の市町に残っていることから、昔の街道風景に思いを馳せながら、58㎞の街道歩きを楽しんでみるのも一興ではないでしょうか。

朝鮮通信使

 朝鮮通信使とは、室町時代から江戸時代にかけて李氏朝鮮の国王から日本へ派遣された外交使節団です。「鎖国」であった当時、異国情緒あふれる一大行列は大変珍しく、人々の耳目を集めました。通信使の宿泊地となった美濃路大垣宿本陣のある竹島町では、例祭に朝鮮山車を作って曳山行列をはじめたという記録があります。「清道」と書かれた旗を先頭に、笛・太鼓・羯鼓・胡弓などの楽隊と、山車上に乗った「大将官」の人形。その脇には小姓がひかえ、「朝鮮王 竹嶋町」の旗が続きました。八幡宮の祭礼である大垣祭にひきだされた各町の山車の中でも、ひときわ目を惹いたといいます。

その姿を再現した「朝鮮通信使行列」というイベントが、今も大垣の周年事業の際に催されています。

 

(Y.K)

朝鮮通信使行列の再現イベント
朝鮮通信使行列の再現イベント